私は25年、車屋をやってきました。
中古車を選ぶ時、あなた自身知っておいたほうが後々のカーライフをより充実させることができる視点があります。
今回はそんなことをお話していきます。※ちょっと辛口ですよ。
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Contents
車選びと恋人選びは同じか
車選びと恋人選びは似ているところがあります。
いきなりですが、結婚をしている方、もしくはこれからしようとしている方、どうして彼女を選ばれのか、愛しているからとか好きだからとかではなく本当の理由を聞かせてはいただけないでしょうか。
え!愛している以外にはないですって、う~ん、それじゃあ彼女の顔があなたの好みでなかったら、体重が100㎏超えていたら、実は多大な借金があったら、自分と釣り合わない世界の人だったらどうです、それでも選ばれましたでしょうか。
もしあなたがそもそもそういう人を好きにならないと言われるのでしたら、あなたは人を好きになる時に色んな条件をつけてしまうということになります。そんなこと考えたことないというのでしたら、考えたことを忘れようとしているのですね、忘れようとしていることさえ忘れようとしているとお見受けします。。。
いえ別に非難しているのではありません。非難する資格もありません、わたしなんか結婚に対してもっとひどいことを考えていますから。私が結婚した理由の一つとして一人だと税金がメチャメチャ取られるからというのもありましたが、これは後の小遣いの少なさに、目論見は見事に外れたことを悟りました。そっちだって働いて共働きなのに、こちらの小遣いをあんなに減らさなくても。
でもその相矛盾することもある理由の中で何を主にするかは、私達の選択の自由に任されていて、その選択の結果が今の状態で、先の未来もその選択の結果に支配されていくことでしょう。結婚相手もお金を主に選んだ時は、働けない状態に遭えば別れる事になるでしょうし、見た目を主にすれば浮気することになるかもしれません。
一方中古車についても同じことが言えます。中古車を買われる方も、色んな理由があります。通勤・通学・趣味・お買物・等に必要というお答えが返ってくるような気がしますがどうでしょう。
でも本当にそうですか、それだけですか? あなたがその車に決められたのは、必要というキーワードだけで説明できますか? 「いや確かに便利だし」 と答えた方、もうすこしです。あとすこし深く潜ってみてください。
出だしとしては長くなりましたが、今回は車屋から見て、車を買うとはどういうことなのかというテーマについて書いていきます。出だしからこれですから、多分脱線しまくると思うので最初に謝っておきます。
多分こんなテーマ、車サイトとしてはふさわしくないと思うのですが、たまにお家で一人一杯やりながらこんな事考えてみるのも、気分転換になるかもしれません。
どんな車を選ぶかによって人のパターンがある
中古車業界に入ってこの業界を俯瞰して眺められるようになった頃、ふと気づいたことがあります。どのメーカーの車を選ぶかによってなんとなくパターンがあるなあと。
例えばトヨタ車を選ばれる方は、車選びに失敗したくないという想いか、まじめな性格の人が多く、また特にマークⅡ・Xやクラウンなどは、自分を大きく見せたい人や、上昇志向の強い方が多いという事が特徴的です。諦めるにしろ、目指すにしろ権力意識の周辺を回っておられる方といいますか、余計解りにくくなりましたかね。
ホンダ車に関して特徴なのは、他の人と自分は違うし、違っていたいという知的な方、若しくは自分を知的だと思う事で、他者の中に埋没する事を、避けるのではなく抜け出そうとしている方のように見えます。醜いアヒルの子のように自分はアヒルではなく白鳥なのだと思いたい人です。少し理屈っぽいです。
スバルに関しては、この会社になぜか愛着の強い方が多く、常に自分はスバル車に乗っているという意識の強い方多く、車そのものに関心が強く向かう人です。でもその裏に、この車の凄さを自分だけはよく知っている。単純に乗るだけの人間とは違うという軽い選民意識が見え隠れします。スバルの良さを解ってない態で接すると、雄弁になります。オタクの意識に近いかもしれません。
日産車に関しては、車によって雑多でこれといって共通のパターンがなく、他のメーカー車にすぐ乗り換えられます。トヨタ車からトヨタ車、ホンダ車からホンダ車へというようなこだわりは少なく、これが日産車の弱いとこだろうと勝手に思っていました。まだダイハツやスズキの軽自動車ユーザーの方のほうが浮気は少ないように見えます。
マツダ車は、ちょっと昔は市場で人気車と言われるような知名度のあるものがそれほど無かった為、値段的に安く、その割にはとても良く出来ています(実用的に)。コストパフォーマンスに優れていて私は好きなのですが、そのため車を実用的に、経済的に考えられる人が多いのが特徴的です。合理性を選択の中心に置く方です。ただ広島の方は別の理由があるのかもしれません。
三菱車に関しては他のメーカーとは明らかに違って、三菱車のメカニックな雰囲気が好きで他と違ったものが好きだという人が多く、その意味ではホンダ車ユーザーと似ていますが、自分を知的に見せたいという欲求にはあまり関心なく、控えめでいるようにみえます。あまり前に出られず、車についてもあまり語られません。車に必死になるという事を避けておられるのかなと思う事があります。この方たちの信頼を裏切った事件は非常に残念です。もう三菱の車造りに未来があるとは思えません。
三菱はこのイメージダウンを軽く見すぎです。車選びはイメージ選びの要素がかなりの比重を占めています。何を考慮するにしても、このイメージが付いて回るという事が解らないのでしょうか。この車安いな、でも○○社の車だ。この車かっこいいな、でも○○社の車だ、という風に、どこまでも追っかけてきます。
いまだに、富士重工(スバル)はゼロ戦のエンジンを作っていたのだと言う方もいます。この様な商品は他にはありません。ベンツやフォルクスワーゲンなどはこの最たるものですね。しかしなぜ車にはこんなにもイメージが付いて回るのでしょうか、次はこの事についてです。
ユーザーは車に何を見ているのか
ユーザーは車に何を見ているのかについて考察するのですが、私の能力不足で思っていることをうまく文章に乗せられないため、少し遠回りしながら行きます。
ディズニーのアニメ、ライオンキング、ミュージカルとしても長いこと上演されていますね。古来よりア二ミズムの世界ではだけでなく、読み物の世界の中でも数々の動物が擬人化されています。
それらの中では様々な性格を付された動物たちが出てきます。ずるがしこい狐、森の賢者オラウータン、心のひねくれたイボイノシシ、暗殺者 黒豹、気高いライオンと、ありとあらゆる性格を勝手に動物に付与して、そのために一部のオオカミのように絶滅していった動物たちもいるくらいです。逆に鳩のように勝手に平和を背負わされ、白いものは結婚式に駆りだされたりする者もいます。
どうして人間は、そのように動物の中に人間性を見ようとするのでしょうか。考えてみると動物だけでなく、様々な物にそれを見ようとします。西洋合理主義に比べて日本はとくにその傾向が強いですね、なにせ八百万の神様がおられますからね。落ちている石にすらなにがしかの物を見ようとしてしまいます。
ただですら、ただの物に対して人間性を見るのですから、車に対しても勿論同じです。ですが車に関してはそれだけでは説明出来ないものがあります。ただのイメージよりもっと強いものが車には付されているように見えます。そうでなければ車によって買われる方にあれだけの性格パターンまで現れてくるはずがないのです。
人が車を通して目指すものは
いきなり核心ですが、車には自己の能力の拡大がみられます。
鈍足の人でも100㎞/h以上で走ることも可能です。力が弱くても重いものを運べます。大きい車に乗れば、自分も大きく強くなったように感じられて小さな車を格下に見るような方はおられませんか。乗られる車によって隠れていた性格や欲望が現れる方おられませんか。
夜中に高速道路をものすごいスピードでぐるぐる回っている車がいるのを、ルーレット族と呼ばれています。わたしも遭遇したことがあります、車の間をウィンカーも出さずに縫って走ります。非常に危険で巻き込まれる怖さを感じ、冷たい汗が出てきます。
あなたは無茶な運転をする彼らの正体をご存知でしょうか、わたしは彼らに何台も売ってきました。もちろんノーマル状態ではありますが。かれらは非常にシャイなおとなしい人達です。頼りなくも感じ、大丈夫か心配になります。
多くは地方出身者で、高校卒業して都会に就職で出てきています。毎日朝早く慣れない仕事場に行って夕方まで働いていて。学生時代の様な自由はありません、時間から時間まで拘束されますが、仕事とは一般にそういうもので、そのなかで仕事への意欲と、それに伴い未来への展望が見えてくればいいのですが、彼らの仕事の認識は、怒られながらただひたすら時間が来るまで耐える苦役との思いがあります。
楽しみは、週末に同じ同郷、同じ環境の仲間達と会う事ですが、会って何をするでもなく、ただ集まっているだけです。そのうち、中で車を買った者が出てきます。たちまちのうちに全員に広がり、走り始めます。この時は日常の矮小化された自己から解き放たれ、現実が実感される瞬間でもあります。この時車は彼にとってはただ走るだけの物から自己をどこまでも拡大させる魔法の道具へと変化しています。
このように車を、自己を拡大させるために使う事は、彼らだけではありません。先に述べた自分を大きく見せるために、高級車をまたそのイメージの強い車を選ばれる方。現在の境遇にそんなはずない、俺はもっと出来ると思っている方は、そのイメージに合う車を。他人は関係無いと言いながら、実は尊敬されたい人は、自分がいかに詳しく自慢ができる車を。可愛いと思われたい人はそのイメージに一番あう車を。その他まだまだいっぱいありますよ。
共通しているのは車を買いに来ていますが、一番の関心は自分自身に向けられていることで、決して車そのものではないということです。それにどなたも気付いておられません。
実際の現場においての応用
ここまでご覧になった方は、こんな面倒くさい事ばかり考えて、こいつ相当変人だと思われたでしょうが、わたしもただ考えてきた訳ではなく、考えたことが正しいのか実際に試してきたのです。役に立たない事ばかり考えているのではないのです。99%は役に立ちませんが。
私は商談をする時に、商品としての中古車には、限られた知識しか持っていませんし、関心もありません。“商品知識を豊かに”は、販売員一般に要求されることですが、その定石に反しています。関心があるのは、買われる方その人です、車そのものの知識はユーザーの方が詳しい場合もあって、車の知識を言い合っても商談が進むわけでもありませんし、時間の無駄どころか害にすらなります。
わたしが見ているのは、ユーザーの隠れた欲求、本当は何を求めているのかという事です。わかればそれの背中を押すことに集中します。自分を大きく見せたい人には、今見ているマークXの事より、次はクラウン・マジェスタ・果てはレクサスの事を話題に挙げます、そうしていつかはそれらに乗りたいですねと、背中を押します。
ユーザーは目の前の車を見ながら、自分を見ているのです、大きくなった自分を感じさせれば成功です。人それぞれに求めているものは違い、それに応じて話題が変わります。
実をいうと、ここまでちょっと偉そうに書いてきましたが、本当は実際に役に立ったのかどうかはよくわかりません。なにせデータの取り様がないのですから、あくまで主観になりますが、こんなわたしがなんとか販売成績もそこそこの結果をだせて、永い事やってこられたのは、まあ少しはこれが役に立っているのかなと思っています。
賢い買い方をお願いしたい
ここまで永らく読んでいただき、有難うございます。やっと終わりが見えてきました。今まで書いてきたことの結論がここにあります。
車に、それぞれのイメージを付して車選びをすることに、とやかく言うつもりはありません。単に選ぶより、服を選ぶ時の様な楽しさがあるのかもしれませんから。自分で服を買う事がめったにない私には、この例えはよく解らないのですが。
ただ「自分はこの車にこんなイメージを持っている」と自覚する事が大事です。そうすると車選びはもっと楽しくなります。知人とも気軽に談義できます。服選びなどはTVを観ていると、この服可愛い、下はこれと合わせるとフォーマルな雰囲気になるなど、いろいろ口に出して選んでいます。一人でしゃべっているとおかしいですが、友達とならそんな会話も弾みます。しかしどうも車選びには必死さが付きまといます。もっと楽しんでも良いのじゃあないでしょうか。
次に車を自己実現の道具として見られる方、これは難しい。本当はこれをキチンと自覚して、自分はこうなりたいから、それに一番合っているこの車を選ぶという風に意識された上で、買われるのならいいのですが、そんなめんどうくさい人いません。
でもこれは結構大事な事で、この自分の欲求に目を背けるため、いつまで経っても買った車に満足感を感じる事が出来ません。それは当たり前で、一つには欲求に際限は無く、車はあくまで車であり、車が喋れれば、「自己の拡大なんてなんのこっちゃ」というでしょう。欲求と目の前の車との溝は広がるばかりです。その差を埋めようと色々車に手を加えます、しかしこの方向に踏み出しても際限は無く、やがて現実が追い付いてきます。早く言えば金の切れ目が縁の切れ目というやつです。
結局充実したカーライフなんて夢のまた夢になりかねません。最初に自分の動機に目を向けて、それを十分認識していれば、抑制が効き、次はこんな車にしようと未来を考える余裕も生まれます。そうすれば今はこの車と、取り敢えず満足することも出来るのですが。
要は車探しは自分探しに繋がります。発見すれば後々結果が違ってくるのにと、傍から何も言えずにただ見ているのは辛いものがあります。例えばその方がローン地獄に陥っていたりすると、仕事を続けるのをやめようかと思うこともあるのです。わたしは意外と繊細なのです。
でも大概の人は、あまりこじらせる事なくカーライフを送っていらっしゃるので、わたしの心配は杞憂にすぎないのかもしれませし、また多分そうなのでしょう。
翻って、雨音を聞きながらこんなことを考えている自分っていったい何者なんでしょう。随分偉そうにしているじゃあないかと言っている自分がいます。
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